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vol. 381 トマトがベトナムを2ヶ月間、5200kmをバイクで旅して感じたこと

こんにちは!

トマトは6月に以前住んでいたダナンの家を引き払い、8月末までベトナム中をバイクで旅しながらリアルノマド生活をしていました。現在はしれっと旅を終了させて日本に帰ってきています。

旅した期間は56日間、バイクでの総走行距離は5200km、もちろん休んだ日もありますが1日平均90km弱移動してたことになります。

旅の行程は最初はダナンから南下してプレイクなどの中部高原地帯に行き、沿岸部のクイニョンまで降りてから再び北上、そしてフエ、ビンなど北中部を縦断しながら最後はディエンビエンフーなどの北西部を回ってハノイで終了しました。

ダナン→コントゥム→プレイク→クイニョン→クアンガイ→ホイアン→フエ→クアンチ→ケサン→ドンホイ→フォンニャケバン→ビン→タインホア→ニンビン→ナムディン→タイビン→マイチャウ→モクチャウ→ソンラ→ソンマー→ディエンビエンドン→ディエンビエンフー→ハノイ、という順番で巡りました。

特に予定は決めておらず、遊牧民のごとく行きたい場所やその日の気分に任せて各地を点々としていました。ただ気づいてみれば山岳地帯などの田舎の地方都市を中心に回っていました。

長期間にわたってベトナムの様々な地域を一度に旅したことによって、トマトは改めてベトナムの魅力や本質、問題点を発見することができました。今回はそのことをまとめて書いていきたいと思います。

ベトナムを2ヶ月間、5200kmを旅して感じたこと

ベトナムは多様性に満ちている!

ベトナムの中部や北部の山岳地帯を旅していて、「ベトナムは多民族国家だなぁ」とつくづく感じました。それは山岳地帯に住む少数民族の姿をたくさん見てきたからです。

今回の旅では中部山岳地帯ではクメール系の「バーナー族」やマレー系の少数民族である「ザライ族」、北西部山岳地帯ではラオス・タイ系の少数民族の「ターイ族」や「モン族」などの少数民族に出会うことができました。

ザライ族の子供。プレイク市郊外にて。
ホアビン省マイチャウにて、モン族の子供たちと。

民族構成からみてもベトナムは多民族国家です。全人口の86%を占めるキン族※の他に、53もの少数民族がベトナム国内に存在しています。

※キン族とは

民族を語るときに使う狭義のベトナム人のこと。我々が普段接しているベトナム人はほとんどがキン族のベトナム人です。ベトナム語ではdân tộc Kinh [京]といい、少数民族はベトナム人やベトナム語のことをngười Việt,tiếng Việtとは言わずに、người Kinh、tiếng Kinhと言います。

ベトナムの30倍の国土を持つあの中国でさえ少数民族の数は55です。ベトナムではその小さな国土に53もの少数民族が雑居していることがわかります。

北は中国・タイ・ラオス系の民族、中南部はクメール・マレー系の民族など、ベトナムは東南アジアの様々な民族の文化がミックスした独自の国家を形成しています。これはハノイやホーチミンに住んでいるだけでは見えてこない一つの事実です。

また、ベトナムの少数民族のうちの75%は北部山岳地帯、中部高原地帯の2地域に集中し、そのほとんどが農村部に暮らしています。

彼らは都市部にはまず降りてくることはないので、我々から彼らの地に赴くしかありません。ベトナムの多様性を味わいたければまず山岳地帯を目指しましょう。

少数民族でない少数民族

さきほどベトナムの少数民族の数は53と言いましたが、この53という数はベトナム政府が正式に認めた民族の数です。

実はこの53の少数民族に含まれていない少数民族も依然として国内に存在しています。今回の旅では中部のクアンチ省ケサンの町で、ベトナムに居住していながらも、まだベトナム政府から正式に認められていない少数民族である「パコ(Pa Ko)族」の人に偶然接触することができました。

ケサンの市場で買い物にきていたパコ族のおばさん。風習なのか、女性がパイプタバコを吸っていました。

彼らが少数民族として認められていない理由としては、周辺にパコ族と類似した文化風習を持つ「ヴァンキエウ」族(dân tộc Vân Kiều)がいて、パコ族はその民族の一部としてひとくくりにみなされているからです。

参考
https://vi.m.wikipedia.org/wiki/Người_Bru_-_Vân_Kiều

しかし彼らと話してみても、「私はヴァンキエウ族ではなくパコ族」と言っていたので彼らのアイデンティティーの中にはヴァンキエウ族は入っていないようです。

何をもって独立した少数民族として認めるのか、その線引きはどこにあるのか、非常に難しい問題です。

ベトナム政府は現在少数民族に対して寛容的な政策をとっていますが、まだ国内には少数民族として名乗れない民族も残っているのだと気付かされました。

ベトナムの本質は地方にある!?

ベトナムのふつう

地方都市をずっと旅していると、ホーチミンやハノイなどの大都市がいかに特殊で異常な都市であるかがわかります。それは地方都市の現状がベトナムの「ふつう」だと気づいたからです。

日本人がベトナムに持つ印象として、よく「ベトナムはバイクが多い」とか「若者が多くて活気にあふれている」などの意見を見かけますが、地方を含めたベトナム全体でみるとこれはスタンダードではありません。

まず前提として、ベトナムの総人口約9200万人のうち、農村部人口は6089万人です。そして、ベトナムの労働力人口(15歳以上)のうち、農林水産業に従事している人の割合は全体の約44%を占めています。

参考

ベトナム 統計情報(2017年) 労働政策研究・研修機構

つまりベトナム人の3人に2人が地方の農村部の田舎に暮らし、仕事をしている者の2人に1人が農業や漁業を営んでいることになります。近年ベトナムでも地方から都市部へ人口が流れていっていますが、多くのベトナム人にとっては「地方で農業をやっている」ことがまだまだ「ふつう」なのです。

その地方都市では、ホーチミンやハノイでの異常な数のバイクや渋滞はまず見られません。もちろん地方でもバイクを使っている人の割合は多いのですが、そもそもの絶対数が少ないため、バイクで道があふれかえるといったことはまずありえません。地方のベトナム人もハノイやホーチミンにくると、最初はあのバイクの大群に驚くものなのですよ。

ゲアン省ビン市の道路。地方の中核都市でもバイクはパラパラと走る程度です。

また、農村部では40,50代の年配の方達が農作業をしているのをよく見かけます。若者は農業をやりたがらず、他の仕事を探しに都市部に出ていってしまうので、ベトナムの農村部に正直若々しさや活気のようなものはあまり感じられません。

地方の人達は現状に苦しみながらも今日をたんたんと生活しているといった印象です。

クアンナム省の田園風景。ベトナムの農村部は思った以上にのんびりしてます。

「若者が多くてバイクと活気にあふれ、成長を夢見て日々邁進するベトナム」像というのは、都市部にのみあてはまるもので、地方では必ずしもそのイメージが「ふつう」ではないということに気付くべきでしょう。

ハノイでの信号待ち。こんな状況はベトナムでもごく限られた光景です。バイクの大群=ベトナムとは考えないでほしいです。

ちなみに治安に関しては都市部よりも地方のほうがずっと良いです。都市部だと店の前にbảo vệ(守衛さん)がバイクを見てないとすぐ盗まれたりしますが、地方ではbảo vệ付きの店は稀です。バイクを誰もいない外に放り出している光景もよく見かけます。

インフラと貧困の関係

都市部と地方の経済格差も依然として残っています。トマトはバイクでベトナム各地をずっと通して走ってきたので、その街の道路や周りの建物(特に政府系の庁舎など)の状況から、その街の発展・貧困具合がだいたいわかるようになりました。

トゥアティエン=フエ省にあるアルオイ郡(huyện A Lưới)の運動場。ド田舎だけど政府の予算がきちんとあるところでは公共施設も立派だったりします。

日本では全国一律に平均的にインフラが整っていますが、ベトナムでは予算の少ない貧しい省では道の状況や看板などがきちんと整備されておらず、都市部と状況が大きく異なります。

中でもインフラの状況が悪いなと感じたのは北部山岳地帯、北中部、中部高原地方の都市でした。

中部高原地方のコントゥム市や北中部のハティン省を訪れた時には、その街に入った瞬間に「あ、ここは貧しい都市だな」というのが感覚的にすぐわかりました。道が整備されてなくて穴ボコ
が多かったり、看板がボロボロだったりするからです。建物も塗装がはがれてたり汚れていたりして雰囲気も悪かったです。

ハティン省の入口の建造物。電光掲示板が壊れてて無用の長物となっています。

こういう街の状況から、「道などのインフラが整っていない→その省の予算や税収が少ない→そこに住んでいる人の稼ぎが少なく貧しい」という推論をすることができます。

下のベトナムの貧困率のマップを見てください。

参考Poverty Mapping in Vietnam – World Bank Group

このマップでは赤い地域ほど貧困率が高くなっています。全体の傾向としては南部よりも中部・北部が、海沿いや平野部よりも山間部のほうが貧しい傾向にあります。

自分がバイクで旅した感覚としても、中部や北西部の山岳地帯では国道を除くtỉnh lộ(省道、日本の県道に相当)では道の状況がグッと悪くなっていたので、この状況は合っていると感じました。

北西部ディエンビエン省の県道115号線にて。山岳地帯では国道を外れるとこんな道はよくあります。

インフラの状況はベトナムの貧困率とも深く関係しているのです。

貧困格差は民族格差

貧困格差と聞くと、都会と地方という地域間格差を思い浮かべる人が多いかと思います。しかし地方都市の内部にも格差があります。

ベトナム北西部の街のソンラ市を訪れた時のことですが、ソンラ市内は比較的キン族の割合が多く(それでも市内の人口の40%くらいですが)、街中では立派な家や自動車も結構見かけます。

しかし、国道から少し外れた郊外に出ると、電気や水道が通っていないような木造の家でできた貧しい少数民族の村にすぐたどり着くことができます。

ソンラ市からバイクで10分ほど出たところにある少数民族の家

ベトナムでは貧困状態にあるとされている人数はおよそ900万人で、総人口の9.8%に相当します。そしてその900万人のうちの72%が山岳地帯に住む少数民族です。

参考
ベトナムの貧困率、9.8%に低下 VOV5.VN

少数民族の貧困人口、3年間で180万人減少―貧困率10%に VIETJO NEWS

つまり、「都会在住ベトナム人>地方在住ベトナム人」という同じキン族同士の格差だけでなく、地方在住ベトナム人の中にも「キン族>その他少数民族」という入れ子構造での格差があるということです。

ベトナムの貧困問題というのは少数民族の貧困であり、地域間格差というよりは民族間格差ということができるでしょう。

地方ってつまらない!

今回地方を旅して田舎出身の若いベトナム人がお金を稼ぐために日本に技能実習や留学に来る理由がよく理解できました。

タイビン省、ハティン省、クアンガイ省、コントゥム省、ザライ省など、観光地ではなく、特にこれといった目玉もなく、主要な産業もない普通の地方都市は数日滞在しただけで正直退屈になってきます。ここにずっと住んでいる人は飽きてこないのかなぁと思ったりもしました。

北部のタイビン省タイビン市内の中心部。ここに3日滞在しましたが、二日目くらいですぐに飽きました(笑)。

そんな退屈で貧しい環境に住んでいる若者達が、家族のために一発逆転をねらって日本でひと稼ぎしてやろうという気持ちになるのもわかります。もし自分もここに住んでたらつまらないと感じるし、きっと故郷を離れて別の環境にいることでしょう。

近年日本でのベトナム人技能実習生の過酷な労働環境が取り沙汰されていますが、彼らは貧しい地元で農業をし、うだつの上がらない生活をするよりかは、たとえ辛いとわかっていても日本で働くほうがまだマシだと考えていることでしょう。

今回地方の貧しくて退屈な現状を目の当たりにして、日本にいるベトナム人実習生の心情が少し理解できました。ベトナムの技能実習生や留学生に関わる日本人は一度彼らの故郷の現状を見てみるといいでしょう。

悪化する森林破壊と自然災害

バイクで山岳地帯を旅していると、「Rừng là vàng(森は金)」とか「bảo vệ rừng là bảo vệ cuộc sống của chúng ta(森林を守ることは私達の生活を守ること)」という看板を見かけます。

2,3回程度なら気にもとめない看板ですが、本当に各地で何十回、何百回とこの類の看板を見かけたので、ベトナムの森林破壊、違法伐採は非常に進んでいるのだと感じました。

森林破壊は地上での視点だと分かり辛いですが、ドローンから見た空中視点だといかに多くの森林が伐採されているかがよくわかります。

コントゥム省の山をドローンで撮影したもの。山の奥のほうまで森林が伐採されています。特に中部高原地帯は森林破壊がひどかったです。

また、山岳地帯では雨による自然災害も頻繁に起こります。トマトが旅してたときも、北西部を豪雨が襲い、洪水や土砂崩れが各地で相次いで発生していました。

参考

ベトナム北部、洪水や土砂崩れで26人死亡 15人行方不明 AFP BB NEWS

国道でさえも道が半分土砂で埋まっている所もあったので、tỉnh lộ(省道)などの整備されていない場所では被害はもっと大きかったであろうことは容易に想像できました。

ソンラ省モクチャウ付近の国道での土砂崩れ
ソンラ省マイソン付近の国道。突発的な豪雨でこんな洪水が起きます。
ソンラ省からイェンバイ省へ向かう国道の土砂崩れ。右下の二つの点が人なのでいかに巨大な土砂崩れが起きたかわかるかと思います。この土砂崩れのせいでイェンバイ省に向かうことができず、40kmほど走った山道を戻らざるを得ませんでした。
ホアビン省にてダー川が氾濫し、田んぼがすべて水没しています。

鉄砲水や土砂崩れ、洪水などのような災害は自然が引き起こしたので仕方のないものだと思いがちですが、このような災害は森林伐採が1つの要因でもあります。

 参考

土砂崩れって、どうして起こるの? YOSHIYA TADAKI ‘s web site 森林雑学研究室

森林があると木の根っこが地面に根を張って土壌を固くつなぎとめ、木の葉っぱを含んだ土はよく水をしみ込ませるので、地表を流れる水は少なくなります。

それらを人為的に伐採したり抜いてしまったりすれば、雨水は流れやすくなるし、地盤がゆるんで土砂崩れが起きてしまいます。

自然災害のように思える北西部の洪水や土砂崩れは人災でもあるのです。今回の旅で人間のエゴと自然災害の恐怖をまざまざと感じました。

ベトナムの本質は地方にあり!

以上のように地方を旅すると、貧困格差、地方の労働環境、森林破壊と自然災害などベトナムの様々な問題が見えてきます。

ハノイやホーチミンだけを見てベトナムを語ってはいけません。地方を見ることによってはじめてベトナムの問題点や全体像が浮かびあがってくるのです。

本当のベトナムを知りたければ地方に行きましょう!

ベトナム語ができるとベトナム旅が100倍楽しくなる!

nhất kỳ nhất hội

最後にみなさんに一番伝えたいことは、「ベトナム語が話せるとベトナム旅がめちゃくちゃ楽しくなるよ!」ってことです。

ベトナム語ができると旅がスムーズに進むのはもちろんのことですが、一番の魅力はやはり現地のベトナム人との交流にあります。

今回の旅でも本当に様々な人に出会うことができました。日本人がバイクで地方を旅していると非常に目立つので、向こうから声をかけてくることも多いです。

加えてベトナム語が話せると相手は非常に驚き、同時にとても喜んでくれます。

「見知らぬ土地で見知らぬ人と会話をする」。それがたとえ短い時間で他愛のないやりとりであっても、その瞬間はとても楽しいものだし、想像以上に自分の知的好奇心や幸福感を高めてくれます。

ベトナム語にはnhất kỳ nhất hộiという言葉があります。これは【一期一会】の漢越語です。旅をしてる時ほどこの言葉がひびくことはありません。旅での出会いは一瞬だからこそ、かけがえのない記憶として残るのです。

少数民族の共通語としてのベトナム語

ベトナム語はベトナム人と話すための言語だけではありません。53の少数民族が話す共通語としての役割もあります。

少数民族の人達は同じコミュニティー内で彼ら独自の言語を話すだけでなく、ベトナム語の教育も受けているのでキン族のベトナム人と同様のレベルでベトナム語を話すことができます。少数民族はほとんどがバイリンガルってことです。これは単純にすごいことですよね。

ちなみに多くの少数民族の言語はベトナム語と言語体系が大きく異なるので、ベトナム語ができても彼ら独自の言語は99%理解できません(泣)。

「ベトナム語=ベトナム一国でしか通じない言語」と考えるのではなく、「ベトナム語は53の文化や風習が異なる少数民族とも話せる共通言語」と捉えましょう。そのほうがずっと有用ですよね。

昔ソンラ省で働いてる時に関わったタイ族の農民と。北部山岳地帯での少数民族が話す北部弁のベトナム語は聞き取りやすく、会話もしやすいです。

このように色々な人と交流しながら旅をすると実践的なベトナム語もどんどん身につくし、中部や北中部の訛った発音など現地に行かないと聞けないようなベトナム語も味わえます。

現地の人と交流することは楽しいし、楽しいからこそもっとベトナム語を学びたくなる。旅は語学の最強の勉強法です!

まとめ

  • ベトナムは東南アジアの様々な民族の文化がミックスした多様性のある国である。
  • ベトナム国内には少数民族として名乗れない民族も残っている
  • 多くのベトナム人にとっては「地方で農業をやっている」ことが「ふつう」である。
  • インフラの状況はベトナムの貧困率とも深く関係している。
  • ベトナムの貧困格差は民族格差である。
  • ベトナムの森林破壊、違法伐採は非常に進んでおり、それらが自然災害も引き起こしている。
  • 本当のベトナムを知りたければ地方に行け!
  • ベトナム語が話せるとベトナム旅がめちゃくちゃ楽しくなる。
  • ベトナム語は53の文化や風習が異なる少数民族とも話せる共通言語でもある。

旅の写真集

今回のバイク旅で特に印象に残った写真や魅力ある写真を載せていきます。

牛注意。地方の道路ではよく農民が水牛を連れて歩いているので注意して走行しなければなりません。
コントゥム市のカフェの前に馬車乗り入れ禁止の看板。さすがに今では減ったけど地方では馬車を使っている人もいます。
コントゥム市にて、ベトナム戦争で活躍したKơ Pa Kơ Lơngというザライ族出身の英雄の名の通り。少数民族の言葉を無理やりベトナム語にするとこんな感じになります。
左に行くとカンボジア、右に行くとラオス。まさしくここはインドシナの交差点。
キン族もその他の少数民族もみな兄弟のようなものだから共に生き、苦楽を共にし、助け合おう、的なことが書かれています。言うことだけは立派だけど、実際には歴然とした格差があります。
コントゥム市内にて、全員はだしでゴミを集める子供たち。中部高原地帯では中核都市でもまだこういったホームレスに近い子供たちがいます。
ベトナムには珍しい二人っ子政策を推奨する看板。地方には確かに子どもが多いからなぁ。
「khu vực biên giới=frontier area=国境地帯」と書かれたロマンを感じる看板。ラオス語で書かれたバージョンとクメール語で書かれたバージョンがあります。
ホイアンの特産料理であるうどんに似ているカオラウとパリパリのタコスとパインジュースのセット。どれも美味しくて忘れられない味でした。

 

ダナン・フエの堺にあるハイヴァン峠。景色は最高だったけどとにかく暑くて死にそうでした。
フエに行く途中にあるベトナム統一鉄道の線路。果てしなく続く感じが好き。
ドローンで撮ったフエの景色。左側が王宮のある旧市街で、右側が現代的なビルが建つ新市街です。川を挟んで新旧が対立しています。
フエ・クアンチ省の境にあるダクロン橋に建つホーチミンルートを示す石碑。ベトナム戦争時には南北ベトナムのの国境でもありました。
トゥアティエン=フエ省アルオイ郡でたまたま立ち寄った店でのbánh canh。コシもあってピリリと辛く、かなり美味しかったです。
トゥアティエン=フエ省の山奥にあるベトナム戦争の激戦地であった通称ハンバーガーヒルの夕暮れ。
ハンバーガーヒルにはバイクで行くことができず、山を3kmほど徒歩で登山しなければなりませんでした。結局あったのはこの石碑だけ…
ベトナム戦争の激戦地の一つケサンの街の烈士達のお墓。そのほとんどがchưa biết tên(名前がわからない)という無縁仏でした。
クアンビン省ドンホイ市の中心部に立つ米軍の爆撃で破壊された教会。なんとなく原爆ドームを想起させます。
ドンホイ市の市場にて、トランプに興じるおばちゃんたち。おじさんが遊んでいるのはよく見るけど女性がこういうゲームをしているのは珍しい。
フォンニャケバン国立公園内にある天国の洞窟。風景は良いけど人が多すぎてうんざり。
フォンニャケバン国立公園の近くで素晴らしい景色を眺めながらジャンクフードを食らうという幸せ。
フォンニャケバンのガソリンスタンドにあった日本の古い給油機、日本の単位に従ってたら恐ろしいことに…
去年海洋汚染事故を起こしたフォルモサ・ハティン工場。周辺も陰鬱としていて不気味な雰囲気を出していました。
ゲアン省ビン市内にあるレーニン通り。ビン市は共産党色の強い「赤い」街でした。
ゲアン省郊外にあるホーチミンの生家。50万ドン札の裏にも描かれてるんだけど、木が邪魔で同じかんじの写真を撮れませんでした…
ニンビンのチャンアンにて。この後大雨に降られます。
蓮の花がきれい。
ナムディン省の大教会。ナムディン省はかつてカトリックの宣教活動の拠点となった場所なので、立派な教会があちこちに残っています。この教会はホーチミンやハノイにある教会よりもはるかに立派なものでした。
ナムディン省の海の近くに立つ今にも崩壊しそうな教会。
ナムディン省の浜辺のゴミ。台風の後とはいえこれはひどすぎる。
宿は主に一泊1500円~3000円くらいの中級ホテルを使っていました。地方だと2500円くらい出せばこれくらいのレベルのホテルに泊まれます。
ホアビン省マイチャウのゲストハウスで出された夕飯。オーナーも優しい人でとってもいい思い出になりました。
マイチャウにある小さな橋にも日本の支援が
マイチャウのゲストハウスの犬。毛並みがいい。
マイチャウにある村民の共同水場。ベトナムでは珍しいタイプのもの。
今回の旅ではは幸いにも事故に遭うことはありませんでしたが、このような事故現場には数回遭遇しました。
ソンラ省にあるインスタスポットの「S字カーブ」。景色が開けてて走ってて気持ちいい。
ソンラ省モクチャウにある茶畑。幾何学模様みたいで美しい。
ソンラ省の市場にて、タイ族の既婚女性は髪をおだんごの形に巻く習慣があり、普通のヘルメットでは頭を守れないので、こういった専用のヘルメットがあります。北西部山岳地帯でしか見られない激レアヘルメットです。
ソンラ市に新しくできたVINCOM PLAZA内にあるゲーセンで、日本の昔のメダルゲームに夢中になる少数民族の人達。シュールで面白い。
初めてなのか、エスカレーターを怖がって登れないタイ族のおばさん。
ディエンビエン省の山奥での夕暮れでの一枚。幻想的なかんじに撮れたかな⁉
ディエンビエン省の山奥の町で食べた夕飯。蚕の幼虫の煮物は食感がプチプチしてて無理でした…
ディエンビエン省の山奥の峠の景色をドローンで。絶景アンド絶景。
ディエンビエンフー市郊外の田園風景。ディエンビエンフー市はお米も有名なんです。
ディエンビエン省の山奥の県道にて、少数民族の女の子がポールに立って踊って遊んでいました。
ディエンビエン省の山奥の峠にて、水牛にまたがる勇ましい子供。
旅は終始これぐらいの荷物を運んで移動していました。ミニマムな生活を心がけようと思っても、服、PC、ドローンと周辺の電子機器だけでこんな多くなっちゃうんです…

これで終わりです。最後まで見てくれてありがとうございました。

6件のコメント

拝読いたしました。今後のベトナム暮らしの参考にさせて頂きます❣️有り難うございます‼️

読んでいただきありがとうございます。ベトナムの地方はハノイやホーチミンとは全然違うので一度訪れてみてから考えてみてもいいかなと思います。

素晴らしい旅行記ですね!私も5年ほどハノイに在住していまして、地方へあてのない旅をしてみたいと思いつつ中々できておりません。この記事を読んで更に行きたいという気持ちが高まりました。
他にもベトナム語関係の記事も読ませて頂きましたが、本当に分かりやすくまとめられていて驚きです。
これからも記事の更新楽しみにしています。

コメントありがとうございます。やはり地方は都市部とは事情が全然異なるのでベトナムを深く知りたいのであればぜひ一度は地方を見て回るべきだと思います。

これからも有益なベトナム語情報を発信していくので応援よろしくお願いします!

素晴らしい紀行文ありがとうございます。見る目によって1風景もこれほど見解や思考に奥行きが出るのかと感服しました。

本多勝一さんのルポルタージュだったと思うのですがサイゴン周辺の村でトイレ直結の養殖池の話がありました。
(人間の落とし物が魚のエサとなります)

さすがに現代では上記のようなサステナブル(?)養殖魚、養豚はなかったでしょうか?

ありがとうございます。今でもメコンデルタ地域の田舎にいくとそういうトイレもあるらしいのですが、私は見たことがありません。

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