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vol.94 単語から見るベトナム人の死生観

ベトナム語で人の生き死にを表す単語に「chào đời」「qua đời」という単語があります。意味はそれぞれ「誕生する」「亡くなる」です。

今回はこの単語を分析してベトナム人の死生観を少し考察してみたいと思います。

chào đời=世の中に挨拶する

まず「chào đời」の「chào」は「挨拶する」という意味です。みなさんが知っているxin chàoのchàoと同じです。

そして「đời」は「人生、世の中」という意味になります。

つまり「chào đời=世の中に挨拶する⇒誕生する」という意味につながります。

qua đời=この世を去る

「qua đời」の「qua」は「過ぎる」という意味です。quaの漢越はそのまま【過】です。

よって「qua đời=世の中を過ぎ去る⇒亡くなる」というふうになります。

「死ぬ」というベトナム語には「chết」や「mất」など直接的な意味の単語もありますが、qua đờiはそれよりも遠回しで丁寧な言い方になります。日本語の「この世を去る」という言い方と同じです。

諸行無常、輪廻転生

この二つの表現からわかることは「人の生き死には常に流れゆくもの」ということです。

最初は世の中(現世)に挨拶し、最後はその現世を過ぎ去っていく。あくまで過ぎるだけで、その過ぎた先にまた次の「đời」に挨拶するかもしれない。そうやって人は常に「chào」と「qua」を反復しながら生き死にを繰り返していくのかもしれません。

これは仏教の輪廻転生(=すべての生けるものは生と死を永遠に繰り返すという考え方)の死生観と似ています。

ベトナム国民の70~80%は仏教徒です。「chào đời」「qua đời」といった表現も仏教的な考えがもとになっているのでしょう。

1件のコメント

ベトナム旅行中のハプニングから日本と海外の死生観について考えを巡らせた | あるがままケセラセラ へ返信する コメントをキャンセル

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