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vol. 358 [トマトのダークツーリズム案内]ソンミ村虐殺事件跡地

トマトが通常の観光ではあまり訪れることのないスポットを紹介する[トマトのダークツーリズム案内]コーナーです。

今回はクアンガイ省にあるソンミ村虐殺事件が跡地に行ってきました。

ソンミ村虐殺事件とは

ソンミ村虐殺事件とは、ベトナム戦争真っ只中の1968年3月16日に米軍がクアンガイ省のソンミ村ミライ集落(thôn Mỹ Lai, làng Sơn Mỹ, tỉnh Quảng Ngãi)で村民504人を虐殺し、村を壊滅させた事件です。

ベトナムではソンミ村虐殺事件とは言わず、「ミライ惨殺事件(vụ thảm sát Mỹ Lai)」と呼ばれています。

ベトナム側の情報によると虐殺された504人のうち、女性が182人(そのうち17人は妊娠していた)、子供が173人(そのうち生後5ヶ月以下が56人)、60歳以上の老人が60人(最高齢は82歳)、中年男性が89人で、犠牲者のほとんどが無抵抗の非戦闘員でした。

そして247戸の家屋を焼き払い、家畜までも殺し、村のほぼすべてを破壊しました。

当初、米軍は「128人のベトナムゲリラを無傷で倒した」という虚偽の戦闘報告をし、虐殺のことを隠していました。

しかし、虐殺の最中に現場近くを通りかかった偵察ヘリコプターからの目撃情報や、事件のことを知った兵士からの告発もあり、翌年の1969年の12月にジャーナリストのシーモア・ハーシュによって真相が報道され、アメリカの反戦運動は更に激化していきました。

そんな米軍史に残る大虐殺事件から今年でちょうど50年が経ち、今年の3月16日に犠牲者の追悼式が跡地で行われました。

トマトが訪れたのは追悼式よりも少し前ですが、今回はその大虐殺事件の跡地がいったいどうなっているのかをリポートしてみたいと思います。

ソンミ村虐殺事件証跡

その場所はダナンから南に150kmほど行ったクアンガイ省にあります。

ダナンから省都であるクアンガイ市まではバイクで4時間ほど、ダナンから鉄道も通っているので比較的行きやすい地域です。

クアンガイ市のホテルからの眺め。よくある地方都市といったかんじ。

そして市の中心部からさらに郊外にバイクを走らせます。

地方の郊外の道路は車両が少なくて走りやすい。
この日は日差しが強くてきつかった…

走ること30分、ベトナムのよくある田園風景の中に「ソンミ村虐殺事件証跡」があります。

ソンミ村虐殺事件証跡には記念碑と小さな博物館があり、当時の家や防空壕の跡が当時のまま展示されています。

日本から支援された木
何かを訴えるおばあさんの銅像

ソンミ村虐殺事件博物館

外の日差しが普段引きこもっているトマトには相当きつかったので、現場を見る前に小さな博物館に入ることにしました。

この博物館にはグロテスクで残虐な展示や写真がたくさんありましたが、ここではそういう画像は公開していません。安心してご覧下さい。

博物館の入口には犠牲になった504名の名前が刻まれた巨大な碑がありました。

写真におさまらないくらい大きな碑でした。
虐殺に使った米軍の武器
当時の村民の私物など
当時村民が使ってた食器類
虐殺後に村に落とされた爆弾
惨殺前に集められる女性と子ども達。ソンミ村虐殺事件の有名な写真の一つ。
訳:私は田んぼの中に親しげに手を振っているおじいさんを見かけたが、すぐに殺害された。村の中にはベトコンは人っ子一人いなかった。焼かれた家から村人が逃げまどい、そして撃ち殺されただけだった。 兵士の中には殺人に特別な感情を持っている者もいて、人が倒れるたびにこう大声で叫んだ、「1点ゲットだぜ」と。
虐殺を逃れた人々。左上には:ミライの生き残り住民たちは記者がすでに調査してあった被害者の名前を一人一人あげても「いまいない」犠牲者の共同墓地を聞いても「そんなものはない」と答えるだけだった:という日本語が書かれていました。

印象に残った写真 「自ら足を撃った黒人兵」

写真にあるハーバート・カーターという黒人兵は目の前で行われた同僚の虐殺に耐え切れなくなり、自ら自分の足を撃った、と書いてあります。

実質的な米軍側の被害はこの兵士のケガのみだったと言われています。参加していた兵士が自分で足を撃ってしまうほど狂気に満ちた虐殺だったことが見て取れます。

もっと衝撃的な写真はたくさんありましたが、残虐なものはこのブログに載せられないので限定的な公開になります。もっと見たいと思った方は実際に行って自分の目で確認してください。

虐殺現場跡地

続いて外にある当時の家や防空壕の跡を見て回りました。

当時使われた避難壕。米軍によって破壊されたが後に補修された。
家の土台は当時のまま。この家だけで7人が殺害された。
家のそばにあったココナッツの木も当時のまま。銃弾の跡が生々しい。
別の家の跡。この家に住む3人が殺害された。
跡地のまわりはのほほんとした田舎の風景が続きます。
道はきちんと整備されてて歩きやすい。
柱や壁も残っている家の跡。
現在の天気の良さと過去の悲劇のギャップ。
柱が焼けこげ、ひん曲がっています。
柱の曲がり方が当時の破壊の激しさを物語っています。
虐殺を生き残った立派な木。
この家に住む3人が殺害され、家は焼かれた。
50年前もこんな天気のもとで虐殺が行われたのだろうか…
この付近で殺された13人の墓もありました。火葬せず土葬でそのまま遺体が埋められています。
当時使われていた村の井戸。
先ほどの博物館で「井戸に落とされ上から頭を撃たれて殺された写真」を見たばかりだったのでちょっとのぞくのが怖かったです。
水がめも当時のまま。

証跡内の展示された跡地はソンミ村のごく一部で、そんなに広くないので10分程で見て回れます。もちろん実際のソンミ村はもっと広く、証跡エリアの外に跡地や集団墓地がまだたくさん残されています。

真ん中の緑の部分が証跡エリア。外側にまだたくさん跡地があります。

そこでいったん証跡エリアを出て、村の他の跡地を見に行くことにしました。

ティンケー村(旧ソンミ村)

村の入口
この付近の田んぼで102人の虐殺が行われたと書かれていた碑。村の落ち着いた雰囲気と書かれている内容のギャップがすごくて戸惑いました。
こんなところで大量虐殺が行われたなんて全く想像できません。
75人の犠牲者が埋葬されている集団墓。
犠牲者の半分以上がお年寄りと子供です。
32人の犠牲者が埋葬されている集合墓。
11人が殺害されたという家の跡地。

このようにティンケー村(旧ソンミ村)は一見何の変哲もない田舎の村ですが、周辺にはたくさんの集合墓と石碑が建てられており、50年前の惨劇を形として残していました。

記憶を形に残すことの大切さ

今回「ソンミ村虐殺事件証跡」を訪れて当時の記憶をきちんと形に残すことがいかに大事かを痛感しました。

「ソンミ村で504人が米軍に虐殺された」

という文字情報だけでは頭でわかっていてもその実感はわいてきません。

しかし実際に現場を訪れ、当時の家の跡などを見ることで50年前の惨劇を思い起こし、少しでも追体験することができます。

ダークツーリズムは悲惨な現場を物見遊山的に見て回ることではなく、「地域の悲しみを悼み、それを継承する」という本質的な役割があります。

跡地としてきちんと形に残すことで、事件の当事者だけでなく、直接体験していない者も共に当時の記憶を共有し、継承することができます。

「ソンミ村虐殺事件証跡」は事件の跡地としてきちんと整備され、展示も効果的に行われています。戦争の残虐性や異常性、ベトナム戦争の悲しみの記憶を共有したい方はぜひとも訪れてみて下さい。