vol.412 [トマトのダークツーリズム案内]「サイゴンでの処刑」の現場に行ってみた




みなさんはこの1枚の写真をご存知でしょうか?

この写真をどこかで見たことがある人も多いかと思います。

この写真は「サイゴンでの処刑」という題で、ちょうど今から51年前の1968年2月1日に撮られました。

当時南ベトナムの国家警察総監であったグエン・ゴク・ロアンが、解放戦線の士官グエン・ヴァン・レム(別人との説もある)を路上で射殺した瞬間の写真です。

この路上での処刑の写真は、世界に計り知れない衝撃を与え、アメリカは本当に正義のために戦争をしているのかという疑問が深まり、反戦ムードをより一層推し進めました。

そしてこの写真を撮ったカメラマンであるエディ・アダムスは翌年ピューリッツァー賞を獲得します。

※ちなみにこの射殺の瞬間はテレビカメラでも撮影され、映像でも見ることができます。youtubeで「サイゴンでの処刑」と調べると出てきます。グロ注意。

今回はアメリカのベトナム戦争のあり方を変えた「サイゴンでの処刑」が行われた場所を調べてきました。

現場は諸説ある!?

実は射殺された現場がどこなのかネットで調べるとLý Thái Tổ通り説、Chợ Lớn地区説、Ngô Gia Tự通り説など意見が分かれていました。

しかし【ベトナム近現代史】一枚の写真が世界を変えた。ピューリッツァー賞「サイゴンでの処刑」が撮影された現場を訪ねて(修正版)というブログ記事ですでに検証してくれており、Ngô Gia Tự通りだということがわかっています。

しかしそのブログでも残念ながら一番肝心のあの射殺された場面がいったいどの位置から撮られたのかに関しては詳しく言及されてなかったため、現場の確認と追加検証のために実際に行ってきました。

現在のNgô Gia Tự通り

ホーチミン市の3区と10区の間に位置するNgô Gia Tự通りはオフィス机やイスなどの家具店や寝具店が多く並んでいる通りです。

左右に立派な街路樹が並んでいます。

Ngô Gia Tự通りを少し進むとSư Vạn Hạnh通りとの交差点の角に石碑があります。

この石碑は1968年1月31日に展開された「テト攻勢」の成果を讃えたもので、「サイゴンでの処刑」に関しては何も書かれていませんでした。

※テト攻勢=テトの時期を狙って解放戦線が南ベトナムの主要な都市や軍事基地を対象に行った一斉攻撃のこと

ちなみに石碑の後ろの7階建ての建物(白い建物ではなく後ろの汚れた建物)はグエン・ヴァン・レムが連行されている時の写真に残っています。

当時の写真と同じようなアングルから撮ったもの。周りは50年も経つとだいぶ変化しているのがわかります。

決め手となる家具屋

交差点を過ぎてさらに20mくらい進むと、さきほどのブログ記事でも紹介されていた決定的な手がかりであるQuang Trungという家具屋があります。

この家具屋は処刑が行なわれる前のレムが歩かされる画像にはっきりと写っています。

Quang Trungという名前に197という数字、そして建物の形まですべて一致しているのでここで間違いないでしょう。

窓枠とバルコニーの側壁まで完全に一致。

しかしこの写真はレムが連行され、移動している時の写真であって厳密にはここで撃たれたわけではありません。

ではこの写真はどこから撃たれたのでしょうか。後ろに先ほどの7階建ての建物が離れて見えるので少し歩かされたことがわかります。

そこでグエン・ヴァン・レムの頭の後ろをよーく見るとすだれ?のようなものが見えます。これは先ほどのQuang Trung家具屋のすだれです。

すだれの形や巻き具合まで一致しているのでこの建物がQuang Trung家具屋であることがわかります。

つまりQuang Trung家具屋からさらに20mほど歩かされたところが「サイゴンでの処刑」が撮られた場所だとわかります。

「サイゴンでの処刑」と同じようなアングルから撮った写真です。具体的にはNgô Gia Tự通りの252番(Trấn Quốc寺の前)の歩道から交差点に向かって撮ったものです。よく見ると手前の建物のバルコニーのブロックの形まで同じでした。

これで撮影された場所を完全に特定することができました。写真は不鮮明なものが多く特定は難しいものだと思っていましたが、Quang Trung家具屋が50年以上も前から同じ名前で営業してくれていたおかげで探し出すことができました。この店がなければNgô Gia Tự通りだと断定するのは難しかったでしょう。

ただなぜグエン・ヴァン・レムは交差点で撃たれず、少し歩かされた後にこの場で撃たれたのかは謎です。メディアに見せしめにする目的でもあったのでしょうか。

また、当時の写真にはほとんど写っていない街路樹は現在かなり大きく成長しています。植樹されたとしても50年あまりでこんなに大きく育つものなんですかね?

場所

「サイゴンでの処刑」のその後 ~写真の影響力とアダムズの後悔~

ここからは現場検証とは関係のない話です。興味のある方のみ読んでください。

「サイゴンでの処刑」を撮影したアダムズは1枚の写真が引き起こした世論の反応に対してこう語っています。

将軍はベトコンを殺した。私はカメラで将軍を殺した。スチール写真は世界で最も強力な武器だ。人々はそれを信じるが、たとえ手を加えてなどいなくても、写真は嘘をつく。写っているのは真実の半面だけだ。あの写真はこうは言わなかった。「あの暑い日のあの時あの場所で、あなたが将軍ならどうしただろう? 捕まえたのはいわゆる悪党で、奴は一人か二人か三人の米兵をぶっ殺した後だった。」

グエン・ヴァン・レムが捕まったのは南ベトナムの警察とその家族の遺体が見つかった現場の近くだったと言われています。レムがこの殺害に関与していたかは不明なままですが、レムが少なくとも南ベトナムの人々を恐怖におとしめるベトコン(解放戦線)の士官だったというのは間違いないようです。

レムは南ベトナムの人からするとテロリストの首謀者として映ったのでしょう。そのレムが路上に引き出され、ロアンが躊躇せずに射殺するのも当然だったのかもしれません。

写真だけを見ると射殺したロアンが明らかに悪者に見えます。しかし射殺にいたるまでのエピソードを顧みると、ロアン側も正義のもとに行動していたのがわかります。

アダムズが「真実の半面だけだ」と語ったのはロアン側の事情が全く考慮されていないということなのでしょう。

その後アダムズは自分の写真が世界の反戦運動に拍車をかけ、さらにロアンの評判を傷つけたことを後悔し、ロアンとその家族に直接謝罪したと言われています。

「サイゴンでの処刑」の写真では、写真によって切り取られた情報と、撮影者が撮った目的やその場で感じていたこととが大きく乖離していることがわかります。

現代では誰でも高画質な写真が撮れ、加工もでき、「写真が嘘をつく」ことははるかに容易になっています。

私たちは「写真は真実」ではなく、あくまでも「真実の一部(もしくはウソ)しか写していない」ということを常に考えなければいけないのかもしれません。

参考サイト

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