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vol. 369 助動詞「cứ」のコアと考え方

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動詞や形容詞の前に置かれる「cứ」はベトナム人がよく使いますが、日本語には訳しづらい単語です。

今回はcứの本質、考え方を勉強しましょう。

cứのコアは〈自由意志〉!?

cứにはぴったりと当てはまる日本語訳はありません。

ですので辞書にあるやや無理やりな日本語訳をそのまま覚えるよりも、本質をしっかり理解したほうが実用的に使えます。

本質を理解するために、いつもの越越辞典から引用をしましょう。

cứには以下のような説明がのっています。

từ biểu thị ý khẳng định về hoạt động, trạng thái nhất định như thế, bất chấp mọi điều kiện.
どんな条件でも関係なく、ある一定の行動、状態を肯定する意味を表す言葉

khẳng định về hoạt động…bất chấp mọi điều kiện「あらゆる条件を顧みず行動する」という部分がポイントです。

つまりcứは「周囲から反対があろうが、どんな条件下にあろうが、周りの目を気にせず自分の意志で自由に行動する」といった意味を表すということです。

もっとシンプルにcứのコアを一言で表せば〈自由意志〉となります。

cứの例

実際の例文を見てcứ〈自由意志〉の持つ役割を理解しましょう。

・anh cứ đi đi.
いいからもう行きなさい。
(他のことを気にせず自分の意志で行くことを促している)

※anh cứ đi điという名前の有名な歌もあります。

 

・muốn làm thì cứ làm đi.
やりたければやればいいじゃないか。
(相手のやりたい意志を支持し、軽く催促している)

 

・có gì, cứ hỏi em nhé.
何かあれば私に聞いてね。
(相手にどんな時でも遠慮なく質問していいことを許可している)

 

・đừng ngại, cứ nói đi.
遠慮せずにしゃべって構いませんよ。
(周りのことを意識せずに自分のペースで話していいことを承認している)

 

・cho dù ba mẹ phản đối, mình vẫn cứ đi du học Nhật Bản.
たとえ両親の反対があろうとも、私は日本に留学に行く。
(両親の反対をかまわずに日本留学に自分の意志で行くことを強調している)

cứは相手に対して使うことが多く、話し手の「承認・支持」が暗に含まれます。
軽い命令を表す語気詞の「đi」とも相性が良く、よくセットで用いられます。

cứ trẻ, cứ chất, cứ pepsi どう訳す?

これはスーパーにあったペプシのたて看板です。

cứが3連続でありますね。みなさんならどう訳しますか?

trẻは「若い」、chấtは“chất lượng tốt / cao”「クオリティーの高い」の略で、転じて「かっこいい、クールな」といった意味になります。

cứの役割を考慮すると以下のようなニュアンスを含んだ訳になると考えられます。

cứ trẻ
若々しくあれ
(まわりを気にせずあなた自身で若さを保て)

 

cứ chất
クールであれ
(人目を意識せずあなたの意志でかっこよくなれ)

 

cứ pepsi
ペプシであれ
(コカ・コーラなんか目もくれずにペプシを選べ)

cứが指し示す意味や役割は日本語訳には直接出てきません。

コアとなる本質的な意味を理解しておかなければこの看板の意味は理解できないでしょう。

cứのもとは【拠】

ではなぜcứが〈自由意志〉を表す意味になるのでしょうか?
根拠を探るために、さらにcứの元をたどってみましょう。

cứのもとは漢越語で【拠(キョ)】です。根拠、証拠といった言葉があるように【拠】の漢字には「よりどころ」という意味があります。

そして実際に「拠=よりどころ」の意味を応用したcứの用法もあります。

cứ đến 10 giờ là đóng cửa.
10時になると閉店します。

cứ mỗi khi đến Việt Nam du lịch, anh ta lại gặp cô ấy
彼はベトナム旅行に行くたびに、彼女に必ず会う。

上の例文の“cứ〜, (là)…”は「〜すればいつも必ず…する」といった意味になります。

cứ〜の部分を「よりどころ、根拠」にしてその条件に従うと必ずある出来事が起こるといったニュアンスで使う用法です。

上の例文ではcứ đến 10 giờ「10時になるという根拠を持つ」→đóng cửa「閉店する」とあります。だから「10時になると(必ず)閉店する」という訳になるわけです。

いきなり日本語訳でみるとわかりづらいですが、「cứ=拠=よりどころ」という意味をもとにして考えるとcứの本質がみえてきます。

助動詞のcứは“自分”がよりどころ?

では〈自由意志〉をコアに持つ助動詞のcứは何を「よりどころ」にしているのでしょうか?

それは「自分が自由に決めていいという意志」をよりどころにしていると考えられます。

「自分の意志」をよりどころにしているからこそ、「どんな条件下であっても周りの目を気にせず行動する」といったニュアンスを持つことができると考えられます。

みなさんもcứの単語のように自分の自由意志に基づいて物事を選択していきましょう。

まとめ

・助動詞cứは「周囲から反対があろうが、どんな条件下にあろうが、周りの目を気にせず自分の意志で自由に行動せよ」という話者の意図を持つ。

・cứのコアは〈自由意志〉

・cứは相手に対して使うことが多く、話し手の「承認・支持」が暗に含まれる。

・cứのもとは【拠=よりどころ】

3件のコメント

いつも勉強させていただいております。Miと申します。
私がよく使うベトナム語で「Để Milo」最初は「Cứ để Mi lo」と覚えましたが、最近は「Cu」を言わなくなりました。
「私の任せておいて」
どちらの使い方がいいでしょうか。

ちなみに、」最近の会話でこのように言われました。
———————————–
Thích nhất câu của bác “để Mi lo”
———————————–

宜しくお願いします。

cuは度にと訳していましたが、自由意志が意味があると初めて知り勉強になりました。
VSL4でcu nam maiという部分があり、自由意志でそのままになっていたと日本語化できました。

Mi 道上哲夫 へ返信する コメントをキャンセル

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