定期購読マガジン「トマトのベトナム語学習ラボ」はこちら

vol.506 トマトのベトナム語の原点

「この授業は単位が簡単に取れるよ」

私をベトナム語の授業に導いてくれたのは、先輩の何気ないアドバイスからでした。

2011年に私は埼玉から沖縄の琉球大学に入り、新入生向けのオリエンテーションで第二外国語の選択に迷っていたところ、手伝いに来ていた同じ学科の女性の先輩が冒頭のアドバイスをくれました。

今となってはその先輩の名前も顔も全く覚えていませんが、冒頭のセリフとその方が巨乳だったことはなぜかはっきりと覚えています。いずれにせよ、この先輩の一言がなければスペイン語や中国語など、よくある他の第二外国語を適当に選んでいたことでしょう。

当時はベトナム語はおろか、ベトナムに関して何も知らず、特に興味もなかった私ですが「単位が簡単に取れる」という大学生にありがちな打算的な動機に基づいてベトナム語を選びました。

画像

月曜日の3限、琉球大学共通教育棟3号館の205教室でベトナム語の授業が始まりました。これから始まる長い大学生活で一番最初に受けた授業が実はこのベトナム語の授業でした。この時点で何かベトナムとは運命的なものがあったのかもしれません。

そのベトナム語の授業はすでに一般教養で人気の科目となっており、狭い教室にたくさんの人が入っていました。特に最初の授業は履修調整期間で、授業を登録していない人もお試しで授業に来るため、座る場所がなく立ち見状態の人もいました。沖縄は4月でもすでに蒸し暑く、ムンムンとした空気が教室内に漂っていました。

その様子を見ていたベトナム語講師の那須泉(トゥエン)先生が「うわぁ~、なんかAKBのコンサートみたいですねぇ~」と言っていたのを聞いて、「変わった人だな」となんとなくワクワクしたのを覚えています。

授業が始まり、最初の数十分聞いただけで面白い授業だというのがすぐにわかりました。なぜなら私は大学受験の時に代々木ゼミナールで浪人しており、様々な人気講師の面白くて上手い授業をたくさん受けてきて、講師の教え方、やる気、質に関してはそれなりに判断する目を持っていたからです。

那須トゥエン先生の授業はかつての代ゼミの有名講師と同じ空気を感じました。大学で一番最初に受けた授業だったこともあり、強烈に印象に残りました。このベトナム語の授業を選んだことで、私の大学生活がどのように変わるのか、そしてベトナム語やベトナムという国にどれだけ深く関わることになるのか、当時はまだ想像もできませんでした。

ベトナム語の授業なのにベトナム語はほとんど教えない

ここまで聞くと、トゥエン先生はベトナム語を教えるのが上手で、だから私はベトナム語ができるようになったのか、と思うかもしれません。

しかし実際の授業では、ベトナム語という言語自体を直接教えることはほとんどありませんでした。授業の大半はベトナムの生活、文化、歴史、人々、沖縄との関係など、ベトナム語に関連する様々な知識や問いを、様々な媒体を使って五感をフル活用し、面白おかしく展開されることに費やされていました。

画像
当時の授業のシラバス
画像
扱う内容から授業を想像してみてください

前期の3ヶ月間の授業で覚えたのは発音や簡単なあいさつなど、ベトナム語の知識量としては少ないですが、それに関連した様々な体験は強烈に頭に残り、自然と多くの人をベトナムや東南アジアに意識を向けさせる授業でした。

大学の一般教養(リベラル・アーツ)とは、単なる知識の詰め込みではなく、学んだ本人の視野を広げ、自由にさせるものです。トゥエン先生の授業は学生の興味関心を引き上げ、世界を広げるような、まさにリベラルアーツを体現した授業でした。

琉球大学の授業の中で、トゥエン先生のように熱心で面白い授業は後にも先にも現れませんでした。ただこの授業に出会えただけでも、私が大学に行く価値はあったと思います。

こうしてトゥエン先生の授業がきっかけで自然とベトナムに興味を持った私は、大学2年生の時にベトナムに短期インターンシップに行き、ベトナム語で伝える喜びを味わい、その後すぐにホーチミン市に留学し、あれよあれよとベトナムにはまっていき、現在まで続いているというわけです。

※ベトナム留学時のベトナム語の勉強法についてまとめた記事はこちら↓

恩師と3年ぶりの再開 ~あの授業の真意~

画像

2022年の12月に私は沖縄を訪れ、トゥエン先生と3年ぶりに再会しました。トゥエン先生はすでに琉球大学での講義を引退し、コロナ禍で長らく体調を崩していましたが、最近はヨガと瞑想に励む日々を送っているらしく、写真のようにいつもの面白くて元気な先生に会うことができて嬉しかったです。

ここでは書けないような「トゥエンフルエンザ患者(=トゥエン先生の授業がきっかけで人生を東南アジア方面に開かされた人々)」の様々な面白話が聞けて非常に楽しかったです。

そこでトゥエン先生の座右の銘である井上ひさし氏の言葉を教えてもらいました。

それは「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く、面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、そして愉快なことはあくまで愉快に」という言葉です。

文を分けると

①難しいことを易しく
②易しいことを深く
③深いことを面白く
④面白いことを真面目に
⑤真面目なことを愉快に
⑥愉快なことは愉快に

となります。私も教える際に①、②までは意識していましたが、③以降の面白さや愉快さというのはあまり意識できていませんでした。

面白さ、愉快さは学習には欠かせないものです。大学教授のように真面目な専門家ほど難しいことをただ難しく語るだけで、そこには面白さというものが一切伝わってきません。結果として教えられた側も心に残らず、勉強したことは忘れてしまいます。

また、どんなに正しいこと、わかりやすいことを言っていてもそれが面白くないと結局多くの人には伝わりません。人に伝わらなければその人にとっては無いことと同じです。

面白さや愉快さは一見無駄のように見えますが、本来学習することは面白く、愉快なものです。わかりやすさ、深さだけでなく面白さも大切なものである、と教える側も常に意識していなければなりません。

そして少しでもその面白さが伝わりさえすれば、その先のことは学習者が勝手に進めていきます。ちょうど私がベトナムに留学してベトナム語を自ら深めていったように、継承者はまた別の形で知を展開していきます。

こうしてトゥエン先生の周りには自然とぶっ飛んだ?面白い人が残っていくのでしょう。なぜトゥエン先生が面白おかしく授業をすることに情熱を注いでいたのか、その真意がこの言葉を通してようやく理解できました。

「金を残すは三流、仕事を残すは二流、人を残すは一流」という言葉があるように、トゥエン先生は私のように様々な教え子の人生をアジアに向けて開かせ、人生を変えさせました。まさに教育者、人として一流といえるでしょう。

トゥエン先生は引退しても、トゥエンフルエンザはまだまだ終わりません。

3件のコメント

トゥエン先生は素晴らしい先生ですね。トゥエン先生の座右の銘は私も座右の銘としていたものでした。でも、とてもトゥエン先生には及びません。ちなみに文中で「井上靖」とあるのは実は「井上ひさし」です。
私は名前に越の文字があるのでベトナム語学び始めました。トマトさんのベトナム語ボックスは愛読しています。そしてとても勉強になっています。今後とも楽しい記事を書いてくださるよう期待しております。

ありがとうございます。私もこの先生がいなかったらベトナム語に出会えていません。どんな縁があるかわからないですね。

井上ひさしの部分も修正しておきました。

写得真好。我是中国人,现在在学越南语。中国人でいまベトナム語を勉強中。トマトさんの文章はベトナム事情の理解上で有益だと思って、よく読ませていただきます。トゥエン先生のような方とめるりあてたらいいなとも思います。

vietomato へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください