また新コーナーはじめちゃいました。その名も「トマトのダークツーリズム案内」です。
実はトマトの大学の時の専攻はベトナム語ではなく観光でした。
ベトナム語ももちろん好きでたくさん勉強していましたが、同時に観光や旅に関しても色々と学んでいました。
特にその中でも専門としてベトナムのダークツーリズムについて研究していました。
ここではみなさんにダークツーリズムについて知ってもらいながら、実際にあるベトナムのダークツーリズムの具体例を紹介したいと思います。
ダークツーリズムとは
ダークツーリズムとは戦争や災害の跡地など、人類の悲しみを巡る観光形態のことです。
これはメディアなどが勝手に作った言葉ではなく、きちんとした学問上の専門用語です。
日本の例でいうと広島の原爆ドームや沖縄のひめゆりの塔などを訪れ、そこで人々の哀しみなどに触れるような観光行動を指します。
おそらくみなさんも戦跡や災害の跡地などを観光で訪れた経験があるかと思います。そのような行動は観光の専門用語で「ダークツーリズム」というんですね。
ダークツーリズムの定義やその本質、役割などを説明しようと思ったら論文ひとつ書けてしまうくらい非常に深いものなのでここでは割愛します。
とりあえずみなさんは簡単に「ダークツーリズム=悼む旅」として覚えておいて下さい。
僧侶ティック・クアン・ドクの焼身自殺跡地
今回はダークツーリズム案内第一弾としてベトナム戦争中に抗議の焼身自殺をした僧侶、ティック・クアン・ドク(Thích Quảng Đức)の記念碑を訪れてみましょう。
歴史的背景
南北の対立
1954年7月、ジュネーブ協定によって北緯17度線を軍事境界線にベトナムが南北に分断され、その翌年の55年にはアメリカが支援する「ベトナム共和国」(南ベトナム)が成立します。
アメリカが南ベトナムを支援する理由は、ベトナムが共産主義化すると次々に他のアジア諸国も共産主義化するという「ドミノ理論」に基づいたものでした。
そしてソ連と中国を後ろ盾に、ホー・チ・ミンを中心とする北ベトナムと、アメリカが支援するゴ・ディン・ジェム(Ngô Đình Diệm)政権が中心の南ベトナムとの対立構造が出来上がります。
独裁者ゴ・ディン・ジェム
ゴ・ディン・ジェムは熱心なカトリック教徒で、サイゴン(現ホーチミン市)のカトリック信者を優遇する一方、独裁者として仏教寺院などの反対勢力を厳しく弾圧しました。
1963年には戒厳令を布告し、政府に反対する僧侶たちを次々に逮捕していきました。
このようなゴ政権の独裁的な政策に強く抗議したのが僧侶のティック・クアン・ドクでした。
彼は仏教の自由と平等を求めるため、サイゴンのアメリカ大使館前でガソリンをかぶり、焼身自殺を行いました。
その映像は世界中に放映され、国際世論に大きな衝撃を与えました。
さらにゴ大統領の弟夫人のゴ・ディン・ニュー(Ngô Đình Nhu)はこの焼身自殺に対して、「単なる人間バーべキューにすぎない」と発言し、さらなる反発を招きました。
↑当時の発言の映像。英語がわからない人でも「バーベキュー」とはっきり言っているのが聞き取れるかと思います。
結局ゴ・ディン・ジェムによる独裁政権は長く続かず、1963年11月の軍事クーデターによって崩壊します。このクーデターを引き起こした要因のひとつとして、ドク僧侶の焼身自殺があげられます。
焼身自殺跡地の現在
現在はドク僧侶が実際に焼身自殺した場所であるホーチミン市3区の8月革命通り(Cách Mạng Tháng 8)とグエン・ディン・チエウ通り(Nguyễn Đình Chiểu)の交差点にドク僧侶の記念碑と大きな銅像が建てられています。
現在は周りにビルが立ち並び、バイクの大群が行き交う交差点に、ドク僧侶の銅像が厳かにまるで何かを訴えるかのように座禅を組んで鎮座しています。
焼身自殺跡地は公園のようにきれいに整備され、誰もがドク僧侶に線香をささげることができます。実際に多くの仏教徒が定期的にここに来てドク僧侶にお祈りをしているといいます。
ドク僧侶が焼身自殺で訴えたかったのは当時の政権への抗議だけでなく信仰の自由と宗教の平等、そして社会の発展でした。
↑ 「phật giáo bất diệt=仏教は不滅」と書かれています。
現在ベトナムは仏教をはじめとして様々な宗教が認められており、社会は発展し続けています。ドク僧侶が当時願ったようなベトナムが今できているといっても過言ではないでしょう。
実際にここにきて手を合わせてみると当時のドク僧侶が焼身自殺してまで訴えたかったことがなんとなく感じられます。
みなさんも実際に訪れてドク僧侶の政権への抗議と仏教への強い思いに身を馳せてみてはいかがでしょうか。
場所
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