皆さんは外国で国境警備隊に連行された経験はありますか?ありませんよね(即答)。
このブログを読んでいるベトナム好きの人やベトナム長期在住者でさえも、迷彩服を着た5,6人の軍人らに囲まれて半強制的に連行された経験があるのは私ぐらいでしょう(苦笑)。
私はなぜ国境警備隊に捕らえられ、連行されたのか、今回はその一部始終をお話します。
ゴーストタウン寸前の町ラオバオ
事件は2020年8月、トマトがベトナム中部の街、クアンチ省のラオバオ(Lao Bảo)を旅行中に起こりました。
地図を見るとわかりますが、ラオバオはラオスとベトナムの国境に接する町です。ラオスとベトナムの国境線はほとんどが険しい山岳地帯でできており、国境ゲートも当然山奥にあるため、付近には基本的に街はありません。
しかしラオバオだけが唯一、ラオスと国境を接する国際貿易の街で、ラオスの文化や雰囲気が味わえるかもしれない!と思い、面白そうだったので試しに訪れてみたというわけです。
しかし、実際にラオバオの街は非常に廃れていてがっかりしました。
ラオバオの住民に聞いたところ、当初はラオスからの商品を無関税で輸入でき、盛んな国際貿易があったらしいのですが、数年前から政府が輸入品に税金を徴収するようになり、国際貿易の地の利を生かすことができなくなって衰退していったらしいのです。
また、近年は国境沿いを流れるセポン川が雨季になるとたびたび氾濫し、水害で住みづらくなったため、多くの住民や企業がラオバオを離れていったらしいです。
さらにコロナの影響でラオスとの国境が完全封鎖になり(現在は再開済)、訪れた2020年当時は見るも無惨な非常に寂しい町になっていました。
そんなラオバオにトマトは夕方頃に到着し、山道をずっとバイクで走ってきたので想像以上に疲れていました。
しかも当初泊まる予定だったホテルがコロナの影響で閉館されており、仕方なく近くのしょぼそうなセポンホテルというところに1泊することにしました。
周辺の店で夕飯を食べようと思っていましたが、ラオバオの町にまともな食堂が一軒もなく断念します。もうこの時点でラオバオに来たことを後悔しました。
疲労がたまってフラフラな状態で、踏んだり蹴ったり、がっかりです。
仕方なく手持ちのレトルトのおかゆをホテルで食べ、初日は早めに就寝することにしました。
事件は早朝に
翌日、早起きしたトマトはラオバオの町をバイクで散策しに出かけました。ラオバオは標高400mほどの山岳部にあるので8月の夏まっさかりのベトナム中部でも涼しく、気持ちの良い朝を迎えられました。
トマトは見知らぬ町で散歩したり、バイクをダラダラと走らせながら人や街並みを観察したりするのが大好きです。ぼーっとしたまま知らない世界を眺めるこの瞬間が最高に楽しく、この瞬間のために旅をしているといっても過言ではありません。
そのぶらり散策中に、ふと川の対岸からラオスを眺めてみたいと思い、国境を流れるセポン川の近くに行ってみることにしました。
すると川の土手に簡易テントがたててあり、その中に迷彩服を着たおっさんらが3人でくっちゃべっていました。
トマトはその時なぜだかわかりませんが、「(ラオス側の川の)写真を撮ってもいいですか?」と声をかけてしまったのです。
後でそのおっさん3人が国境警備隊だとわかるのですが、トマトが声をかけた時には国境警備隊だと全く気づきませんでした。
なぜかというとベトナムの田舎では迷彩服を作業着代わりにして農作業をしているおっさんがよくいるからです。
その3人もただのおしゃべりしている農夫だと思い、コミュニケーションのつもりでつい声をかけてしまったというわけです。これが最初のミスでした。
「写真とってもいいよ」と返事がくるかと思いきや、声をかけた途端にそのおっさんトリオは「あんたどこから来た?」といきなり強い口調で問い詰めてきました。
「(は?なんだこいつら?てか先に俺の質問に答えろや)」と一瞬イラッとしましたが、「セポンホテル(滞在中のホテル)から来た観光客だけど、で何ですか?」と返しました。
するとそのおっさんらは「パスポートを見せろ」とさらに強い口調で聞いてきました。
「は?パスポートはそのホテルが預かってるけど、だから何?」と若干こちらも少しいらっとした口調で返してしまいました。
※ベトナムではホテルに宿泊する時には基本的にパスポートを預けなければなりません。最近ではパスポートの写真を撮るだけですむ場合が多くなりましたが、地方の小さなホテルではまだパスポートを預かる所が多いです。
トマトはセキュリティの面から、パスポートをホテルに預けるのをいつも断っていましたが、前日はとても疲れていてそこまで意識が回らず、ホテルにパスポートを預けたままでした。これが2つ目のミスでした。
すると
「Rứa thì phải làm việc=じゃあ仕事をしないとな」
※rứa=それでは、vậy, thếの中部弁バージョン
と言っておっさんの一人が電話をし始め、もう一人のおっさんがバイクで移動できないように道を塞ぎ始めました。
「は?何の仕事をするんだよ⁉」とトマトもこの状況にだんだんとイライラし始め(お腹も空いてたし)、「Bây giờ làm việc gì?(これから何をするんだ?)」と何回も強い口調で聞きましたが、おっさん達からは何も具体的な返答がありませんでした。
ただひたすら
おっさん「パスポートは?」
トマト「ホテルにある!」おっさん「これから仕事をするから」
トマト「だから何をするんだよ!?」
と同じような押し問答が続くだけでした。
※ちなみにクアンチ省では独特な北中部訛りを話す人がほとんどで、おっさん連中も例に漏れず見事な訛りをかましてきてたので、かなり聞き取りにくく、その訛りにトマトはさらにイラついていました。ただ方言に罪はないのでそこは私の能力不足のせいですが。
そうこうしているうちにおっさん連中の増援がさらに3人やってきて計6人となり、トマトは完全に包囲されてしまいました。
ヒートアップしていたトマトはこの時点でようやく「(あれ?この人達って国境警備隊的な何か?)」と気付きました。
そもそもおっさん連中からは何も自己紹介されてないし、そもそも国境警備隊的なオーラは一切感じられない口調や態度だったので、気付くのが遅れてしまいました。
いずれにせよ迷彩服を着た6人の国境警備隊に囲まれ、身動きがとれず、具体的にこれから何をするのか一切言われないまま「とりあえず事務所に行くぞ」とだけ告げられ、彼らのバイクの後ろに半強制的に乗せられました。
別に何も悪いことはしてないのに…
ただ写真撮っていいか尋ねただけなのに…
なぜ連れていかれるのか理由もわからないまま連行されるのは非常に怖かったです。
ここで抵抗しようと思えばできましたが、変に抵抗するともっと面倒なことになりそうだったので、「君子は争う所なし」の精神でトマトは必死にこの状況に耐えました。
この時に「あぁやっぱりベトナムにはまともな人権はないのだなぁ」と強く感じました。「疑わしきは捕まえよ」ベトナムはこういう国なのだとふと悟りました。
事務所にて告げられた罰とは?
バイクの後ろに乗せられて数分走ったあと、国境ゲート近くの事務所に連れていかれ、「色々と手続きするから」と、また具体的なことは何も言われないままパソコンと机が数台ある殺風景な事務室に入れられました。
朝起きてから何も飲み食いできないまま(散策中に朝ごはんをとろうと思っていた)、空腹と怒りと狼狽を必死に抑えながら、なんとか座って耐えていました。
10分後、彼らの要求で宿泊していたセポンホテルのスタッフがトマトのパスポートを持ってきてくれました。スタッフもなんかビビってた様子で、迷惑かけて申し訳ないなと思いました。
その後、渡された用紙に名前、本籍、日本の住所、電話番号、これまでの旅行の履歴などの個人情報をかなり詳細に問われ、国境警備隊の主任のような人がタバコをスパスパ吸いながらカタカタとパソコンにその情報を打ち始めました。
「giãn cách 2 mét(ソーシャルディスタンスを2mとれ) ※当時のコロナの政策」とか命令してくるくせにタバコの煙は一切気にせず、煙が充満する臭い部屋で非常に不快に感じながらしばらく待たされました。
※ちなみに捕らえられた外国人は通常ベトナム語の通訳を入れるのですが、「君はベトナム語が上手だから通訳いらないね」と言われました。そこだけは言われてちょっと嬉しかったです。
そして別の国境警備隊の人がスマホの画面をトマトに見せながら「君はこういう理由で罰を受けるから、その手続きをこれからするね」と言われました。
その画面にある法律の文書にはこう記されていました。
“Người nước ngoài vào khu vực biên giới, vành đai biên giới không có giấy tờ theo quy định”
訳すと「外国人が国境エリア及び国境地帯で規定による書類を持っていないこと」という意味です。
要するに「外国人が国境地帯でパスポートなどの身分証を携行してない罰」ということです。
ここでようやくなぜトマトが捕らえられたのか理由がわかりました。それと同時にそんなしょうもない理由で連行されたのかと、拍子抜けすると共にさらにふつふつと怒りが沸き始めました。
なぜならトマトは何かあった時のためにスマホの中にパスポートの画像を入れていたからです。トマトの身分を証明する手段はあったわけです。
しかし彼らは「パスポートは持っているか?」と聞いてきただけだったので、パスポートの現物はホテルにあり、当然私は「今は持ってない」と答えるしかありませんでした。
もし彼らが「身分を証明できるようなものはあるか?」と聞いていたら話は違っていたはずです。
そもそも最初に捕まえる理由をなぜ言わないのか?、罰の理由を知らせないまま一旦身柄を確保し、そして罰を科すという後出しジャンケンのような行為にすっかりあきれて長いため息をついていると、次は白い用紙を渡され、意見、釈明、反省などがあればここに書けと言われました。
反省文なんて書かされたのは高校生ぶりだなぁ、と懐かしみつつも、実際に書いた中身はもちろん反省ではなく以下のような釈明と質問をベトナム語で書きなぐりました。
・そもそも国境エリアはどこからどこまでを指すのか?具体的に示してほしい。辺りに国境エリアを示す看板や侵入禁止のような看板は見かけなかった。
・国境近くのセポン川には写真を撮るために近付いただけで、国境を侵犯するなどの悪意は全くない。
・パスポートはセポンホテルが預かっていたのだから責任はホテルにあるのではないか?
・なぜ具体的なパスポート提示にこだわるのか?他にも身分証明する手段はあった。なぜ先に捕まえる理由を言わないのか?せこすぎる。
などなど、こんな内容を用紙いっぱいに怒りを込めて書きまくりました。感情が高ぶってる時はなぜか頭が冴え、ポンポンと怒りのベトナム語が出てくるという不思議な気分を味わいました。
そして30分後くらいに「行政違反記録書」なるものを渡されました。これは要するにトマトの個人情報や違反行為の詳細などが書かれた罰の決定文書です。
違反行為の詳細(翻訳)は以下のnoteの有料記事にて見れます。
結論としてはさきほど書いた釈明や質問が全く反映されておらず、結局罰金250万ドン(12500円)を科されました。これはベトナムの中ではなかなか重い罰金です。ラオバオで働く人の半月分の給料に相当します。
結局発見されてから罰金を払って解放されるまで3時間ほど国境事務所に拘束されていました。もし私がベトナム語ができていなかったらもっと時間がかかっていたことでしょう。
今回の件でラオバオには至極うんざりしました。本当はここにもう一泊する予定でしたが、もう二度とここには来ないと心に誓い、空腹のトマトは何も食べずにラオバオを早々に去りましたとさ。
反省点
今回の失敗をまとめると以下のようになります。
①コロナ禍中に旅をしたこと。当時北中部では自由に旅行はできたが、外国人がコロナを持ち込んできたなど、外国人に対して警戒、不安、差別などがあった。
②国境警備隊だと気付かずに声をかけてしまったこと。
③ホテルにパスポートを預けてしまったこと。
④お腹が空いていて冷静になれなかったこと。
様々な要因が重なり、結局トマトは国境警備隊に拘束され、重い罰金を払うはめになりました。①、②は特殊事情なので仕方ありませんが、③、④は普段から予防できるのでこの件を機に同じ過ちを二度と犯さないようにしたいと反省しました。
特に③にあるように、パスポートはホテルに絶対に預けないほうがいいでしょう。
今回のように滞在中に何らかのトラブルにあってパスポートが急に必要になったり、チェックアウトする時にホテルの受付が返し忘れたりする時もあるからです。地方の安いホテルでは紛失のリスクもあります。
ベトナムでは基本的にパスポートのコピーを取らせるだけで十分です。パスポートは常に携帯しましょう。
まとめ(教訓)
・ベトナムの国境地帯を旅する時はパスポートなどの身分証を必ず携行しよう。身分証がないと発見された時に連行されるぞ!
・ラオバオは何もないから訪れる価値はないぞ!
・ベトナム語ができれば大半のことは解決できるが、怪しまれたら関係なく捕まるぞ!
ご愁傷様です。
私も2020年に南部のChâu Đốcを旅行中に国境エリア侵犯?で抑留されました。その後の経緯はトマトさんと似ていますが、コロナ感染者候補?として隔離所に半日抑留されたことが異なっています。
Hà Tiênでは市場を見学をしていただけなのに警察に中国人密航者として抑留されました。
バイクに乗せられて町から離れて中(民間人のバイクの後ろに乗って、警察が同じくバイクでついてくる)、「このままどっかでみぐるみを剥がれるのか」と怖かったです。