トマトが現在住んでいるダナン市は現在ビーチリゾートとして有名ですが、かつては「基地の街」として有名でした。
ベトナム戦争中、ダナンは南ベトナムの最大の拠点として大規模な米軍基地が各地にあったからです。
しかし現在のダナンにはベトナム戦争の歴史を感じさせるスポットを見つけるのは非常に困難です。
今回はダナンに残る枯葉剤問題を沖縄の基地問題と絡めながら紹介します。
[トマトのダークツーリズム案内]では通常の観光ではあまり触れられることのない戦争関連のスポットを紹介しています。
前回の記事はこちら↓
歴史的背景
枯葉剤とは?
枯葉剤とは米軍がベトナム戦争中、ベトコン※が潜伏していそうな森林地帯を枯れさせるために使われた除草剤のことです。
※ベトコン(Việt Cộng)とは
米軍が当時使っていたベトナムゲリラに対する蔑称で、正式名称は「南ベトナム解放民族戦線(mặt trận dân tộc giải phóng miền nam Việt Nam)」です。
1960年に結成され、南ベトナム政権に対抗し、ホーチミンが率いる北ベトナムの支援を受けて南部で戦ったグループのことをいいます。
ベトコンは「ベトナム共産主義野郎」という意味の蔑称なので、ベトナム戦争を客観的に語る場合は使わないほうがいいです。ベトコンではなく「解放戦線」や「ベトナムゲリラ」と呼びましょう。
米軍は1961年から1971年にかけて、南ベトナムのジャングルに7600万リットル(25mプール211杯分)もの枯葉剤を散布しました。
枯葉剤で問題となったのは除草剤を製造する過程で生まれた高濃度のダイオキシンです。
枯葉剤を浴びた者は後にガンや皮膚疾患、流産や胎児への先天性異常等を引き起こし、ベトナムでは現在300万人以上が枯葉剤由来の病気や障害、後遺症に苦しんでいると言われています。
枯葉剤は全部で6種類ありますが、中でも最も多く使われたのがオレンジ剤(エージェント・オレンジ)と呼ばれるもので、ベトナム語でも枯葉剤のことをchất độc da cam(オレンジ毒)と言います。
沖縄の米軍基地とベトナム戦争 ~沖縄なくしてベトナム戦争を続けることはできない~
ベトナム戦争では沖縄の米軍基地も非常に深く関わっていました。
1972年の本土復帰前まで沖縄の基地を好きなように使用することができた米軍は、ベトナム戦争での爆撃、軍備補給、修理、兵士の訓練などに最大限利用されました。
アメリカがベトナム戦争に本格介入するきっかけとなった米軍のダナンへの上陸は、沖縄駐留の海兵隊でした。
また、B52戦略爆撃機が嘉手納基地から発進して南ベトナムを直接爆撃したり、沖縄の北部訓練場には架空の「ベトナム村」を作り、ゲリラ戦の訓練を行ったりもしました。
そして戦闘が最も激化していた1960年代末ごろには約56000人の沖縄の人々が米軍基地に直接雇用されており、間接的にベトナム戦争を支えてもいました。
当時の米太平洋軍司令官は「沖縄なくしてベトナム戦争を続けることはできない」と発言したほど、沖縄とベトナム戦争は切っても切り離せない関係にありました。
沖縄の米軍基地跡地から枯葉剤由来のドラム缶が!?
そしてベトナム戦争終結から38年後の2013年に、沖縄市の米軍基地跡地であったサッカー場から古いドラム缶が発見されます。
そのドラム缶には枯葉剤を製造していたダウケミカル社という名前が刻まれていました。
日本政府と沖縄市がそのドラム缶の調査を行った結果、掘り出された22本のドラム缶のうちの18本から猛毒のダイオキシンを含む除草剤の成分が検出されました。
特に10本のドラム缶からはダイオキシンの中でも最強の毒といわれる「2, 3, 7, 8 – TeCCD」という物質の割合が50-70%を占めており、枯葉剤に由来する特有のダイオキシンが高濃度で出てきたとダイオキシンの専門家は結論づけました。
この調査結果を受け、沖縄市はドラム缶が枯葉剤を含んでいた可能性があると指摘しましたが、日本政府はオレンジ剤に限定した評価(出てきたドラム缶はエージェント・オレンジの成分とは異なるという評価)をしたため、枯葉剤があったという証拠は断定できないとしました。
このように米軍及び日本政府は沖縄での枯葉剤の使用を現在も認めていません。
ダナン空港のダイオキシン汚染
今回のドラム缶の調査に際し、ダイオキシンの専門家は沖縄市のサッカー場の汚染とベトナムのダナン空軍基地跡(現ダナン空港)の汚染のパターンが非常に似ていることを指摘しました。
当時のダナン空軍基地は枯葉剤散布の拠点であり、米軍の枯葉剤倉庫や輸送施設などがあったことから土壌に大量のダイオキシンが残されていました。
そこで2012年8月にベトナムとアメリカの両政府が協力してダナン空港のダイオキシンの除染作業を開始しました。除染作業の第1期は2016年5月に完了し、第2期も2016年10月に開始され、2018年の6月までには完了するとされています。
しかしその除染作業区域はダナン空港内の約30ヘクタールと非常に限定的です。戦後何十年にもわたってダイオキシン汚染は空港周辺にまで広がっている可能性もあり、ダナン空港周辺にはまだ数多くのダイオキシンのホットスポットがあるとされています。
除染作業が2012年に初めて開始されたというのも驚きです。2012年まで空港周辺に暮らす住民は長い間生活の場が汚染されている可能性があるまま暮らしていたということなのですから。
実際にダイオキシンホットスポットに行ってみた
というわけで今回はダナン空港周辺にあるダイオキシンホットスポットの一つと言われるスアンホア池(Hồ Xuân Hòa)に行ってきました。
場所はこちら↓
スアンホア池はダナン空港の北西にある小さなため池です。
一見何の変哲もない池ですが、ダナン空港の汚染された土壌からダイオキシンがこの池に流れているホットスポットの一つだと言われています。
この池の汚染は農薬と戦争中に使われた枯葉剤の両方に汚染されている複合汚染で、その汚染のパターンが沖縄市のサッカー場汚染と似ているというのです。
このおっちゃんに池のダイオキシン汚染について聞いたところ、汚染は確かにあることは認知しているが、極めて微量で薄くなっているから大丈夫だと言っていました。
このおっちゃんは1973年にベトナム戦争で兵士としてダナンに従軍して以来、45年間もダナンに住んでおり、ずっとこの周辺の魚や野菜を食べてきているが、何も健康に問題はないとのこと。家族や親戚、近所の人も周辺からのダイオキシン汚染による健康被害は一切ないと言っていました。
このおばちゃんにも少し話を聞いてみました。このおばちゃんは生まれた時からずっとダナンに暮らしていますが、池からの汚染による健康被害は何もないと言っていました。
雑感
最初枯葉剤に関する本やサイトを見て、汚染された所は人が近寄りがたくとても危険なイメージがありましたが、実際に現場に行ってみると牧歌的で雰囲気ものほほんとしており拍子抜けしてしまいました。
この池は農薬と枯葉剤による複合汚染で、その汚染のパターンがドラム缶が出てきた沖縄市のサッカー場汚染と似ているというらしいのですが、その汚染が周辺住民の健康に影響を与えるという点では非常に疑問に感じました。
写真に出てきたおっちゃんやおばちゃん以外にも他に2人の住民に聞いてみたのですが、同様に口をそろえて「何も問題ない」と言ってました。
特にその一人は池のほとりでレストランを経営しているおばちゃんなのですが、「もう十年以上ここに住んでいて池の魚や周りの野菜も食べてるけど別に大丈夫よ。(そばにいた4歳くらいの子を指差しながら)私の子供も何も問題ないわよ」と言っていたのが印象に残っています。
こういった説得力ある現場の声を聞いて、「ダイオキシン汚染は杞憂なのかな」とも思ってしまいました。
もちろん統計的なデータを取ったわけでもないし、科学的な調査をしたわけでもないので安易に結論付けることはできません。ただ本やサイトに書かれている情報と現場の声との温度差にトマトは少し戸惑いました。
ダイオキシン汚染は本当に「空港内だけの局地的な汚染なのか」それとも「空港外に人体に影響が出るほど汚染が広がっているのか」それとも「周辺にも汚染はあるだろうけど人体に影響が出るほどではないのか」、今回のレポートだけではわかりません。
しかし周辺住民に健康被害があるにせよないにせよ、ダイオキシン汚染がベトナムにまだ残っているのは事実です。それは常に念頭に置いて考えねばなりません。
返還されてからが大変
また、沖縄の米軍基地でも今後返還された土地から汚染物質が出てくることも避けられないでしょう。沖縄で過去に米軍から返還された土地からは汚染が発覚している例が数多くあるからです。返されたからといってそれがすぐに負担軽減になるわけではありません。
だからこそ基地が返還される前に米軍がその土地で何をしたのかを入念に調べるべきです。
日米地位協定では基地返還後の土地を米軍が綺麗にして返すという「原状回復義務」はありません。返還跡地の環境汚染の除去、浄化など「原状回復義務」は日本政府が責任を負うことになっています。
しかし2015年に日米地位協定の環境補足協定が発効され、日本側の返還前の立ち入り調査の用件や期間が緩和されました。
つまり返還される前に環境汚染が出ていることがわかれば、米軍側にも汚染への責任の一旦を負わせることができるということです。
いずれにせよ今回のような現在も続いている戦争による環境汚染について私たちは知る必要があるし、共に考えていかねばならないでしょう。
今回参考にした図書・ウェブサイト・動画
・ジョンミッチェル『追跡・沖縄の枯れ葉剤』高文研 2014
今回の記事を書く際に一番参考にした本です。沖縄で起きた枯葉剤疑惑について米退役軍人や軍雇用員の証言を聞いたりするなど詳細な調査報道を基に書かれた本です。ただダナン市の記述の部分については疑義が残りますが。
・沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く―軍作業員の戦後』沖縄タイムス社 2013
沖縄で基地従業員として働いていた人に当時の仕事や基地の状況等をインタビューしたのをまとめた本です。ベトナム戦争に関する記述も多く、米軍統治時代の沖縄の基地の状況を知る資料としてとても読み応えがあります。
・遠藤聡『ベトナム戦争を考えるー戦争と平和の関係ー』明石書店 2005
ベトナム戦争を多面的かつ客観的に捉え、ベトナム戦争とは何だったのかを考えさせられる本。文章も学者が書くような硬い文章ではなく読みやすいです。
・三野正洋『わかりやすいベトナム戦争―超大国を揺るがせた15年戦争の全貌』光人社NF文庫 2008
文庫版でコンパクトながらベトナム戦争をはじめから終わりまで中立的な立場でかなり詳細につづった本。この1冊を読破すればベトナム戦争に相当詳しくなること間違いなし。
・「枯葉剤を浴びた島2」
今回のレポートにある沖縄とベトナムの枯葉剤問題をうまくまとめた番組です。時間がある人はどうぞ。ダナンに関する部分は34:10あたりから。
・「ダナン空港のダイオキシン除染、処理後の用地12.7ha引き渡し」VIETJO NEWS
https://www.viet-jo.com/news/social/170810140305.html
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