ベトナム語では「いつ」よりも「もうやったのか、まだやってないのか」という視点が大事である、ということを前回述べました。
今回は「もうやった」ということを示す部品である「rồi」の本質について解説したいと思います。
rồi=<完了>でいいのか!?
よく参考書には(đã)~rồi.の形で「もう~した」という意味の<完了>を表す、と書いてあります。rồiの本質さえ理解していれば完了と覚えても差し支えはないのですが、ただ単純にrồi=<完了>と考えていると場合によっては誤訳、誤解をしてしまう場合があります。
例えばăn rồi.という文では「食べる」が<完了>した→「もう食べた」と訳せます。こういった文ではrồi=<完了>と考えても問題はないですね。
しかしđói rồi.という文ではどうでしょうか。đóiは「お腹がすいている」という意味です。なのでさっきのように考えて「お腹がすいている」が<完了>した、とするとどう訳せばいいのでしょうか。
お腹がすっかりすいている状態なのか、それともお腹がすいているのが終わった状態だから「お腹がいっぱい」なのか、いったいどちらなのでしょうか?
さらにđi đâu rồi.という文を考えてみて下さい。đi đâuだけだと「どこに行くの?」という疑問文です。それにrồiがくっついています。「どこに行くの?」が<完了>するってどういうこと?、どこか目的地についたってこと?
ここまでくるとどう訳せばいいのかわけがわからなくなりますね。ちなみにđi đâu rồiという文はベトナム人がよく使う言い方で、文法的にも何も問題はありません。
rồi=<完了>と単純に覚えていると色々と問題がおきそうですね。これを解決するにはrồiをどうとらえ直せばいいのでしょうか。
rồiのコアは<成立>
そこで筆者は「rồiの本質的意味は<完了>ではなく<成立>である」と提案します。
rồi=<成立>と覚えれば先ほどの文をどう訳せばいいのかがはっきりします。
đói rồiでは「お腹がすいている」が<成立>した、つまり「お腹がすいている」状態になった→「(すっかり)お腹がすいてしまった」という意味になります。
đi đâu rồiの文でも「どこに行くの?」という状態が<成立>した→「いったいどこへ行ってしまったんだ」と訳すことができます。ここでのrồiはđi đâuという文を強調しているといってもいいでしょう。
rồiはrồiより前にある文を<成立>させる役割を持つ、ということを覚えておきましょう。
まとめ
rồiは<完了>ではなく<成立>である。
大変為になりました。
ありがとうございます。