ベトナム語には文末に置いて文全体に「気持ち」を加える「語気詞」というものがあります。このベトナム語独特の品詞である語気詞とは何かについてみてみましょう。
語気詞とは
さて、田中さん。今回はベトナム語の「語気詞(ごきし)※」とは何かについて勉強しようね。
※ベトナム語ではtrợ từ【助詞】といいます。助詞と呼んでもいいのですが日本語の助詞と混同を避けるためここでは「語気詞」に統一します。他にも語態詞や文末詞などと呼んでいたりする本もありますが、名称が異なるだけで基本的な役割は同じです。
よろしくお願いします。
語気詞とは文末に置いて、その文に「感情」「気分」「態度」を伝達する役割を持つ品詞のことをいうんだ。
じゃあその語気詞というものがないと感情とか気持ちを伝えられないってこと?
そうなんだ。ベトナム語は声調言語でがちがちに発音が決まっているから、日本語みたいに「今日どこ行く~?」とか「もっと食べる~♡」みたいに文のイントネーションを変えて気持ちを伝えることができないんだ。ベトナム語でイントネーションを変えてしまうと別の意味になるか全く通じなくなってしまうよ。
なるほど、だから何かもう一つ気持ちを表す言葉を付け加える必要があるんだね!
そう、話者の様々な感情を伝えるパーツが語気詞の正体なんだ。気持ちを伝える部品だからベトナム語の語気詞はたくさんあるよ。
・tôi ăn nhé.
食べますね。<約束>
・em học đi.
勉強しなさい。<命令>
・bạn là người Nhật hả?
日本人なんですか?<疑問>
語気詞があるのとないのとではどう違うの?
でもぶっちゃけその語気詞がなくても情報を伝達することはできるよね?tôi ăn nhé(食べますね)なんて言わなくてもtôi ăn(私は食べます)って言えれば十分に意思は伝わると思うんだけど?
そうだね。確かにそれでも意味は十分に伝わるよ、でも「食べます」と「食べますね」って普通に会話しててどっちが気持ちがこもってると思う?
まぁ「食べます」だとなんかよそよそしい感じはするかなー。
普通に「食べるね」とか「食べますよ」とか言うほうが会話しててその人の気持ちを感じるし、自然だよね。
ベトナム語もおんなじで、語気詞を加えることによって情報を伝達するだけのロボット的な話し方から感情や気分を持つ、より人間的な話し方に昇華させることができるってことさ。
ベトナム語もおんなじで、語気詞を加えることによって情報を伝達するだけのロボット的な話し方から感情や気分を持つ、より人間的な話し方に昇華させることができるってことさ。
じゃあ語気詞は会話をする際には欠かせないものなんだね。
そういうこと、だから語気詞はできるだけたくさん覚えたほうがいいよ。次回からいくつか有名な語気詞を紹介するから楽しみにしててね!
わーい、楽しみだな~。
まとめ
・語気詞とは相手に情報を伝達するだけでなく、感情や態度をも伝える働きを持つコトバのことである。
語気詞の中に「đi」のように、本来他の品詞で使っていたものが使われますね。
この「đi」以外に「đâu」もそうですが、「行く」「どこ」という意味が、なぜ語気を強めるのか、というように初め思いました。(今も疑問中ですが、「これがベトナム語の本質なのかな」と感じます。)
他も含めて、こういったその言語の本質を突いた疑問は、ネイティブに聞いてもわからないですね。日本語も同じですが、彼らは体で身につけているわけですから。
その言語の語感は、ネイティブではない人の方が気づきやすく、説明しやすいのかもしれませんね。
確かにđiはベトナム語の中でも十指に入るぐらいの意味の多様性を持っています。điの第一義は「人やモノがある場所から別の場所に移動する」といった意味になります。つまりđiは「移動」という性質を持っており、それが文末に置かれて、文の内容の「移動」を促す→文の命令という意味合いになったのだと思われます。
こういった語の本質を考えるのはもはやベトナム語ではなくベトナム語”学”の世界になりますね。ベトナム人も知らない(意識してない)ベトナム語なので、客観的にみれる外国人のほうがこういった分野は得意なのかもしれません。